エル マエストロ シエラ

1830年につくられたボデガを、ヘレスのメルセッド地区にあった樽工場のオーナー、ホセ・アントニオ・シエラが買い取った。(購入年は資料が残っておらず不明) そのボデガにマエストロ(名人)と彼の名前シエラ(鋸)をかけてボデガ名「マエストロ・シエラ“鋸名人シエラ”」と名付け、 その技術を生かしすばらしいアメリカンオークの樽を作りシェリーで満たしていった。 ホセは1848年ヘレスに生まれ、同じくヘレス生まれのラファエラ・ソト・アギラールと結婚。 2人には子供がいなかった為、ホセ他界後は一緒に暮らしていた姪のカルメン・カサル・ソトに引き継がれ 、ラファエラが未亡人になってからはカルメンの子供達アントニオ・ボレゴ・カサルと姉妹で会社を設立しアントニオがアルマセニスタのこのボデガの仕事を任された。 1960年代カルメン他界後アントニオは従姉妹達からボデガの権利を全て買い取りボデガを引き継いだ。 1976年アントニオが他界。未亡人ピラール・プラ・ペチョビエルトと娘のマリア・デル・カルメン・ボレゴ・プラが継承し、現在もボデガを守り続けている。 ボデガ内にボトリング施設も設置し、アルマセニスタだったこのボデガは1992年から熟成輸出ボデガに変りボトリング販売を始めた 。現在もフィノの清澄には昔ながらに卵白を使っているヘレスで唯一のボデガ。